乃木坂46を愛する1ファンのブログです。 書いて楽しい、読んでも楽しい。そんなブログをめざしています。

清純派はどこへ? 白石麻衣の写真集が意味すること④

 

僕はアイドルという職業は、メンバー個人の人間性、メンバー同士の関係性、そしてメンバーやグループの背負った物語がカギだと思っています。

そのため性的なものが仮に強くなっても、それらがきちんとファンに共有されていれば、アイドルとして活動できるでしょう。しかし「国民的アイドル」になるためには、性的なものとの決別が必要なはずです。

ここまでかなり長くなりましたが、これからが結論です。最後まで読んでいただけるとうれしいです。

 

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ちはる・高山・西野による楽しそうなラインダンス(運営ブログより*1

 
●いまアイドルを推す意味はどこにあるのか?

グループアイドルは、グループの絆や関係性を味わうエンタメだと僕は思っています。いわゆる「関係性萌え」は女性ファンに多いという話もありますが、乃木坂の箱推しの多さを思うと、男性にもかなりメジャーなファン心理なのではないかと思います。

そしてグループ内の絆や、メンバーやグループの持つ物語を味わう面白さは、ほかの音楽グループやスポーツチームなど、すべてのエンタテイメントと共通するものです。そうした中で、とくにメンバーの個性やグループの関係性といった人間的なものを強調したのが、アイドルなのではないでしょうか。

いまアイドルを推す意味はそこにあると僕は思うのです。これほど簡単にかわいい女の子のエロ画像が見られる時代にあって、なぜあえてアイドルを推すのでしょうか。エロなんてものはどうでもいいのです。メンバーの持つ人間性、メンバー同士の関係性、そしてメンバー・グループの背負った物語を楽しんでいるのです。もしアイドルファンなんて、下心だらけみたいな偏見を持つ人がいたら、再考することを強く求めます。

 

 

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個人的には5枚目のころの制服が一番好きです。

 

●ローファー娘はビキニになんかならない

制服には、各人の社会的な身分をあらわすという機能があります。高校生の制服には、それを着ている者がどこの高校に通っているのかを示すと同時に、まだその者が一人前ではなく庇護すべき対象であることを意味しています。「庇護すべき」とは「愛すべき」と同じです。

多くの女性アイドルが制服風の衣装を着ることは、セーラー服がひとつのおしゃれなアイテムになっていると同時に、彼女たちが多くの人によって愛されることを願っているのだと思います。国民的アイドルになるうえで、女子高生風の制服を身に着けていることは重要なことです。国民全員から愛すべき対象とみなされるために、制服は必要不可欠なものといえるかもしれません。

そして乃木坂が、本当にアイドル(=無条件に愛されるべき存在)として、日本中から認められるためには、性的なものを極力排除する必要があると考えます。

 

『清純な大人』の発表前から、刺激が強めのグラビアが増え、「清楚さ」がしだいに失われているように感じます。この前、僕が書店にいるとき、隣で男性誌に載ったメンバーのキス顔写真という企画を見て、女子高生たちが否定的な発言をしているのが聞こえてきました。マスメディアである以上、男性誌といえども、女性や子どもの目に触れることはいくらでもあります。

性的なものは社会からタブー視され、大っぴらには語られることはありません。乃木坂が多くの国民に受け入れられて、話題になることをめざすのならば、性的なものからの決別が必要だと考えています。「清楚さ」を失ったアイドルが、国民的なアイドルになれるのでしょうか。はなはだ疑問です。

 

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アンダーライブにおける「おいでシャンプー」(運営ブログより*2

 

 

これまで「清楚」と呼ばれてきた乃木坂には、国民的な話題になる資格がありました。今回の写真集発売によって、乃木坂はその資格をみずから手放してしまうのかもしれません。

本当にビキニ姿を披露しても、彼女たちは「清純な大人」であり続けるのでしょうか。これまでも乃木坂は、いろんなことが変わり続けてきました。生駒のAKB兼任には僕も動揺したのですが、今のところ乃木坂の良さは失われていないと感じています。今回の写真集発売があってもなお、僕たちが大事にしてきた乃木坂は、全く変わらなかった。そう思える日が来ることを、いまは願っています。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。