特集「卒業を控えた伊藤寧々を振り返る」 ②
「乃木坂46のメンバーとして、メンバーやファンの方にいなくてはならない存在だと言ってもらえるようになることです!」
伊藤寧々さんは、初期のインタビューで「将来の夢」をこのように答えていました。それから3年。彼女は乃木坂46の一期生として、現在の乃木坂の姿を、仲間とともに作り上げてきました。僕は卒業の知らせを受けたとき、乃木坂にひとつの穴がぽっかりと空いてしまう気がしました。その喪失感こそ、彼女の存在の大きさ、彼女が乃木坂にいなくてはならない存在であることを物語っていると思います。今回は彼女の3年間の活動を、ざっと振り返ってみることにします。
●活動の軌跡
寧々さんは、2012年の夏、「涙がまだ悲しみだった頃」で初センターを掴みました。彼女の小さな体が、チャーミングに腕を振るダンスとよく合っていて、いまでも僕がライブで楽しみにするパフォーマンスのひとつです。またこの年の「16人のプリンシパル」は、彼女にとって大きな苦難となりました。9月4日以降の公演は欠席になりましたが、右足の小指を骨折した状態で公演に臨み、ファンからはその根性を高く評価されました。
「君の名は希望」で選抜入りしたことも印象深いです。選抜発表時に彼女が流した涙は、乃木坂の歴史のなかでも屈指の名場面だと僕は思っています。寧々さんはその頃に出演したラジオ番組で、「他の道をかんがえたこともあった」と告白しています*1あの涙を見て、「ふだんは笑顔を振りまいているけど、この子たちはこんなに大きな不安とプレッシャーのなかで頑張っているんだなあ」と感動しました。
2014年2月22日のバースデーライブ本番前の写真。四人の伊藤が集結。
2014年には、主演映画「杉沢村伝説劇場版」が公開されました。また乃木坂でもアンダーライブが始まり、活躍の場を広げた一方で、声帯炎を患い、「プリンシパル」を全休することになりました。その頃のブログには「これからどんなお仕事をするにも一回壊してしまった喉とは付き合っていかないといけない」ともあるので、こうした喉の状態も卒業を決めた一因なのかもしれません。「大人っぽい」、「冷静」とよく評される寧々さんですが、身体の不調を押してでもステージに立とうする情熱的な一面も、素晴らしいと思います。
●卒業発表
そして卒業を決断するに至ります。メンバーに伝えたのは8月14日と推定されています。これが本当ならば、全国ツアーの直前。 *2 あの時に僕たちが見ていたのは、いくちゃんの復活物語でしたが、メンバーはみんな寧々さんの卒業を知って臨んでいたんですね。
ファンに卒業が発表される少し前、寧々さんは地元に帰省したことをブログで報告し、「同い年の子が免許持ってたり大学生やってたり結婚してたり...周りの環境が大人になったな~って!私もおいてかれないように、皆も頑張ってるから私も頑張ろう」と綴っています。今回の決断は、彼女の中で高校を卒業してから数か月、きちんと自分の将来を見つめなおした結果なのでしょう。
この春卒業したメンバーとともに。(左から)畠中・万理華・生駒・寧々・市來・川村
9月21日の個別握手会は、地元・名古屋でラストのものでした。最後に握手をした中学生の女の子の涙が止まらず、ブースを出たところで寧々さんがハグをして慰めたという素敵なエピソードがうまれたそうです。こんなにファン思いの彼女は、今日もステージに立っています。寧々さんやファンにとって、この志願のアンダーライブが、いい思い出として残ることを心から願っています。